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六連(むつれ)は、日本海軍の海防艦。普遍的には択捉型海防艦の5番艦とされているが、海軍省が定めた公式類別では占守型海防艦の9番艦。太平洋戦争中、最初に沈没した海防艦。 ==艦歴== マル急計画の海防艦甲型(第310号艦型)、仮称艦名第314号艦として計画される。1942年7月25日、大阪鉄工所桜島工場〔大阪鉄工所の社号は1943年3月11日消滅し、日立造船の一部門となる。〕で起工。1943年3月5日、六連と命名、占守型海防艦の9番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。4月10日に進水。7月31日に竣工し、本籍を呉鎮守府に役務を呉鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。同日付で呉防備戦隊に編入され、軍隊区分呉海上防備部隊に配置された。 8月15日、第四艦隊第二海上護衛隊に編入、軍隊区分内南洋方面部隊護衛部隊に配置された。21日、3821甲船団(2隻)を護衛し横須賀を発、攻撃を受けることなく30日トラックに着く。 9月2日、4902船団(6隻)を護衛しトラックを発したが、同日ルクティ島沖の地点でアメリカの潜水艦スナッパーの魚雷攻撃を受けた。スナッパーから発射された魚雷が六連の右舷艦首と後部に命中し、六連は爆発を起こして構造物の一部が吹き飛び、炎に包まれ大傾斜の末沈没した。六連の乗員46名が戦死した。 11月1日、六連は占守型海防艦から削除され、帝国海防艦籍から除かれた。 なお、六連は日本海軍が太平洋戦争で喪失した最初の海防艦であり〔海防艦の喪失第2艦は1943年12月15日に沈没した若宮。〕、竣工日から沈没日までの日数:34日間は、海防艦中2番目に短命だった。〔最も短命だった海防艦は第73号海防艦:竣工日1945年4月5日-沈没日1945年4月16日の12日間、六連の次に短命だった海防艦は目斗:竣工日1945年2月19日-沈没日1945年4月4日の45日間である。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「六連 (海防艦)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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